昔、天理中学校の校長をされていました、広池○九郎氏の日記より抜粋したものです。
「広池○九郎信仰日記」 大正二年十一月十六日より抜粋
同十六日、管長閣下の御居間において、御教祖御直筆の御筆先十七号を拝見す。
第一号は明治二年一月にて、十七号は明治七年の表題あり。一号の始めには、御神楽歌と同一
なれども、各歌とも歌末の句は少々異なり居れり。半枚に八行ずつ記しあり。
用紙は極めて粗末なり。次にまた、内々御教祖の御写真拝見を許されたり。
これは極めて秘密にて、御本部員といえども、これを拝せらるるもの稀なるに、拝見を許可さるは誠に
有難きことなり。
恐れ多きことながら、これは御教祖様の御帰幽翌日の御写真にて、管長閣下および令夫人および
政子、久子の四人、御枕元に付き添いあり。
御教祖の御容貌は、右を下にして横に休まれ、顔は面長にて頬は肉落ちて居れど、御眼と眉は天地
抱合わせの貌をなして、宛然画けるもののごとし。鼻筋通り口元しまり、耳太く額広く、全く偉人の相を
備えさせたまう。
管長閣下のかくのごとく信用せらるるは、皆予が無我の状態に御道のため日夜働くによる。その誠の
あらわれしものと思わる。
〔欄外〕
闇下は予に対して、全く神様のひきよせと仰せられ、教理完成の道具と仰せられ、それがために予に
「今日は本部員中でも、二、三のほか見せぬものを示す。こちらにおいでなさい」とて御居間に案内、
下の記事のごときものを拝見せしめたり。