統 計 的 考 察 に よ る お さ し づ 私 考
 
 最初に
 
 最初に、今回のおさしづの考察は、内容に関しては、ほとんど関知いたしておりません。形式についてのみに、限定しています。
また、山田伊八郎文書には、中山みき様のおさしづも掲載されていますが、これは現在の七巻本には、収録されていないので省きます。
 
(1)おさしづについて
 
 おさしづは、教祖の五十年祭の折に、かな本八巻として編纂されたものが、土台になっています。その時編集段階で、年代別に組み込まれなかったものが、八巻目に補遺として組み込まれていました。(このおさしづは、時の政府の圧力により回収されました)
 しかし、教祖八十年祭の折、すでに回収されていたかな本を、適当な漢字かな混じり文に変換しかつ、かな本の補遺として(八巻目を)いたものを、適切な年度に組み入れたものが公刊されました。これが現在の七巻本(公刊本)です。しかしその編集時点でも、新たに発見されたおさしづの存在がわかり、編年順に組み入れることができませんでした。その組み入れることができなかったものを、七巻目に(七巻本では)補遺として増補冊されています。
 次回のおさしづ編纂の時には、七巻目の補遺が編年順に、編纂しなおされるのではないかと思います。
 したがつて、百日のおさしづは六巻目に収録されており、今回は諸般の理由から、六巻目までのおさしづを考察しました。
 
(2)おさしづの量的考察
 
おさしづは、巨大かつ膨大な言葉の量で構成されています。本伺い数が4千343ヶ所、教会事情うかがい数が1万4千285ヶ所、 合計、1万8千628ヶ所にも上ります。
 これを文字数に換算すると、本文が3千866ページ、教会事情が1千325ページにもなり、1ページに関して考えますと、1行が37文字 × 13行、でありますから、(3866+1325)×37文字×13行=251万2774文字で、構成されています。
 この数字は最大です。何故ならおさしづ本そのものに、不用意な改行や改ページがある為です。ゆえに、正確な総数は最大の文字数から、それら不用意な改行数や、ページ数を削除しなくてはならないのですが、現時点では、それをやることができませんので、それらを無視して考察しました。
 
(3)おさしづの形式
 
 通常、おさしづの始まりは、本文…いわゆる、さあ/\から始まる独特の語り口をもった、話し言葉の総体…を意味する。本文の中には、刻限も身上伺いも、事情伺いも含める。 ただし、教会事情は含まない。おさしづを拝読する時や、おさしづを引用する時も、本文から為されるのが、普通であると思います。教会事情のさしづから引用されたり、教会事情のおさしづについて、研究が為されることは、いままで一度もありませんでした。それは、教会事情のおさしづは、読みにくく校正されていることにも起因します。本文と違って、一つ一つにうかがい文が掲載されておらず、目次にのみに、うかがい文が掲載されているためです。 また教会事情に対する本席様の答えが、非常に均質的で同じような言葉の、繰り返しであるからです。これは最初から、答が決まっているのではないか、つまり「許す」と、決まっているからであると、考えられなくもありません。
 
(4)おさしづの量的考察
 
 おさしづの七巻本を、今回通読してみました。その結果本席様の発する、いわゆるおさしづ(本文)と、教会事情伺いの比較にならないほどの、量の差を感じました。
 
 表ー1は、巻別に本文のページ数と、教会事情のページ数を、表で比較対照してみました。数字だけでは読みとりにくいので、それをグラフー1に著してみました。 ほぼ3巻目から、教会事情の量はふえはじめ、6巻目にいたっては本文よりも、量が多くなっています。
 年度別の本文と教会事情の量の比較が、必要になると思われます。
 
(5)教会事情のおさしづの特異性
 
 繰り返しになりますが、教会事情のおさしづの特徴は、すべての伺いに対して百パーセント「許す」、とおっしゃています。さしもどしや、修正、訂正などは個人で調べた範囲では、見つけることができませんでした。1万4千285ヶ所にものぼる、教会事情のおさしづは、すべてそうなっています。この点は非常に、重要であると考えます。
 明治40年までについては、現在大きな大教会となっております教会や、事情になった教会なども、すべておさしづで許された教会なのです。おさしづの本文では、真柱様を呼んだり、北礼拝場の図面の書き直しを、厳しく指示してる様子とは対照的です。
 
(6)年別のおさしづ考
 
表ー1グラフー1とは、巻別の比較対照ですが、表ー2は年別の比較対照表です。すべて手計算により、数字を割り出しました。
 但し表ー2の数字には、数え違いがある可能性が高い事も考慮して、概算とお考えください。
 とくに注目したいのは、明治三十八年の量です。伺い数が16回、それに対して本席様の発話量は、ページ数に換算して18ページである。文字数に単純換算すると、18ページ×(一行につき37文字)×13行で、8千658文字です。普通人間は、ゆっくりしゃべって分速で、約200文字程度です。それ以下になると、抑揚や感情を表せるのが、不十分になるといわれています。また早口の場合、分速約350文字程度です。早口言葉で、舌がもつれない程度は、約420文字程度だといわれています。従って本席様も、人間の口を使用して、話しをされているわけですから、分速約200〜350文字程度の速度で、話をされたと推側できます。そうしますと単純計算で、ゆっくりと話された場合(分速約200文字)、8千658文字÷200=43.29(43分17.4秒)
 早く話された場合(分速約350文字)、8千658文字÷350文字=24.7(24分42秒)です。
 仮に分速約350文字で、話をされたとしたら、明治38年一年間につきましては、本席様として語られた時間は、約24分42秒しかなかった、ということになります。これは一年間での計算です。一ヶ月間ではありません。また16回に分かれています。これは少なすぎるのではないかと、思われます。一体どうゆう事なのでしょうか?。これだけの量のお話で、当時の天理教が通っていけたのでしょうか、大いなる疑問です。すでにこの頃には、天理教も軌道に乗り、おさしづをあまり必要と、しなくなっていたのでしょうか。
 
(7)おさしづの構成
 
 おさしづ全体を通して、意図的にかどうか判りませんが、編集する段階で振り分けのようなものが、存在しているようにおもえます。たとえば、大きな教会とその他の教会では、同じ「神殿の窓のすげかえ」、という伺いがあったとしても、大きな教会のものは本文に入れられ、その他の教会のものは教会事情に、振り分けられいます。その時の本席様の対応は、「さあさあ許す/\」という、短いおさしづで終わっています。このあたりが、おさしづを読む上で、特に気を付けなければ、ならないように思います。
 
(8)おさしづの比較検討
 
 グラフー2は、表ー2を見やすくグラフ化したものです。グラフー2は、本文と教会事情のうかがい数を、比較対照したものです。棒グラフの上の…黄色い部分が教会事情、黒い部分がおさしづの本文です。明治25年、明治26年を境にして、本文のうかがい件数が激減して、かわりに教会事情のうかがいがグラフで見る限り、本文を押しつぶすような形で、増えているのがわかります。明治35年をすぎますと、本文のうかがい数は、グラフで表示できないくらいに、減少しています。明治40年にかろうじて、黒い部分が増えているのは、「百日のおさしづ」があったからです。
 
 グラフー3は、うかがい数ではなく、おさしずの量…発話量…を示したものです。ここでは大まかなページ数を、量として計算しました。問題は、教会事情の編纂にありました。教会事情は、年代順に編纂されておらず、「おさしずの凡例書き」には、「同じお言葉は巻末に一括し、五十音別に配列した」とあります。したがって、年代順の正確な判定は、事実上不可能だったので、目次から項目をカウントし、それをページ数で割りました。
 また教会事情は、一つのお言葉と次ぎのお言葉の間に、空白行が設けられています。空白行は、文字列と換算せざるを得ませんでした。したがって実数は、この数字よりもかなり、少なくなることは確実でしょう。しかし、正確な数字は、今の時点では出すことができません。
 
 (イ) グラフー2の比較について
 明治25・26・27年を比べてみますと、うかがい数では教会事情が、圧倒的に多くなっています。本席様のおさしづそのものは、グラフー3でみる限り、多少の減少は見られますが、本文と教会事情が、逆転することはありません。
 グラフー3について、本席様の本文そのものが、明治35年から激減しています。なぜなのかよくわかりません。
 
 (ロ) グラフー4について。
 これは、教会事情と本文の中にある、一つの伺いについての、本席様の発話量の比較です。グラフー2 では、本席様の全発話に関して、かなりのバラ付きがあるのがわかります。又、一つの伺いについて着目しますと、本席様はたとえば、明治35年頃から発話数が激減していますが、一つの伺いについての発話量そのものは、減っていないことがわかります。これは発話量が最低である、明治三十八年についても同じ事です。発話数だけですべてのことが、わかるわけではありませんが、一つの伺いに対して本席様は、最後まで誠実・丁寧に諭され、その姿勢は継続された、と考えられると思います。それに比べて、教会事情については、波線で描かれていますように、0、2ページを越えることは本席様存命期間中(20年間)に、一度もありませんでした。
 
(9)最後に
 
グラフー4では、誠実・丁寧な発話をしてる本席様ではありますが、グラフー2では、膨大な教会事情のうかがいに、すべて「許す」という、いわば紋切り方の対応をされています。無審査的な許しが、あったように思います。たとえて言うと、現在での都道府県の知事が、何かの許可をあたえる場合、申請そのものが法的に、適合してるかどうか審査します。そのための独自の、調査機関を有しています。ですから適切でないものは、許可しません。やり直しです。しかし、本席様は神の代理としての本席ですから、すべて見抜き見通しであるという信仰の元に、本席様が許された。ということは、絶対的な意味合いが、あったのだろうと考えられます。しかし実際に本席様は、教会事情のおさしづについて、すべてに許可を、与えられたように思われます。それがグラフー2でみられる圧倒的な、教会事情の量になっています。今になって考えると、それが天理教の制度的な発展につながり、また今日に至る空洞化の遠因に、なっているのかもしれません。かたや本席様は、グラフー4にありますように、一つ一つのうかがいに、誠実に対処されています。この二面性をどのように考えるか、今後の課題と思っています。
 
 グラフー3について、本席様の本文そのものが、二十年間にわたり増減があります。年度別に、平均的なものではありません。この不均衡がなぜあるのか、大いに疑問です。考えられますことは(あくまでも推測ですが)、まだ公表されてないおさしづが、どこかにあるのでしょうか。各教会にも、あるかもしれませんし、我々には関係ないとして、公表できないものも、あるかもしれません。又2、3の大教会が作成していますおさしづも、検討が必要かもしれません。しかし今の段階では、公開されたものにより、考えるほかはありません。